<文政11年(1828)~天保9年(1838)> ・シーボルト事件 ・化成文化 ・天保の飢饉 ・大塩平八郎の乱 ・徳川家斉が隠居し、家慶が12代将軍に就任 ・緒方洪庵が適塾を開く ・徳川斉昭が幕府に意見書 <内容> 文政11年、オランダ商館の医師・シーボルトが帰国の際に、完成したばかりの伊能忠敬の日本地図を持ち出そうとしたことが発覚。シーボルトはどうやって国家機密とされていた、日本地図を入手できたのか。持ち出しは未遂に終わり、地図の海外流出は阻止したはずが、数年後にはヨーロッパに正確な日本地図が出回ることになる。その背景には何があったのか。 江戸では葛飾北斎「富嶽三十六景」歌川広重「東海道五拾三次」といった新しい浮世絵が登場して人気となり、化政文化が花開いた時代。その一方で国内では飢饉が起こり、異国船がたびたび来航し、不穏な空気に包まれていた。 そんな中で水戸藩主・徳川斉昭が幕府に意見書を提出。国内外の危機を「内憂外患」と表現し、対策を提言。幕末の尊王攘夷論の先駆けとなったその内容とは?