・統制貿易(いわゆる鎖国)体制が完成 ・春日局 死去 ・明が滅亡 ・3代 徳川家光が「日光東照社」を「日光東照宮」に改める ・家光 死去 「鎖国」と言われ、閉ざされていたイメージが強かった江戸時代の日本。しかし近年では、統制貿易体制があり、外との繋がりを保っていたとされている。その実態とは? この頃、家光が朝廷に要請して日光東照社を日光東照宮に改める。「社」と「宮」で、何が変わったのか?改称に先立ち、家光が大改修して完成したのが現在も残る絢爛豪華な日光東照宮であるのだが、そこに込められていた家光の思いとはいったい…。