・第四次鎖国令 →ポルトガル人を長崎の「出島」に移住させる ・島原・天草一揆 ・原城の戦い(天草四郎 対 幕府軍) ・徳川家光 キリシタン摘発を徹底化 今回は、江戸時代260年における最大の一揆、かつては“キリシタンの反乱”と言われた「島原・天草一揆」を取り上げます。 寛永14年10月。現在の長崎県・島原地方の農民やキリシタンが蜂起して、島原城を攻撃。藩の代官や幕府を相手に、4か月もの戦いを繰り広げます。何故この地域の人々は、武器を取り、抵抗をつづけたのでしょうか?約3万7千の一揆勢を率いた指導者の名は天草四郎。この時わずか15歳だった青年が、なぜ一揆勢を率いることになったのでしょうか?謎多き人物像に迫ります。 対する幕府軍の総大将は〝知恵伊豆〟こと、老中・松平信綱。彼の秘策は、オランダ船からの砲撃でした。一揆勢が籠る原城に、海・陸から400発以上の大砲を打ち込みました。何故そこまでする必要があったのでしょうか?