<1607~1614年> ・大御所・徳川家康(66) 駿府城に入る ・家康の外交 朝鮮と国交回復 ・薩摩が琉球王国を制圧 ・家康(70)と豊臣秀頼(19)が二条城で会見 ・家康が大名たちに臣従を誓約させる ・方広寺鐘銘事件が勃発 <内容> 秀忠に将軍を譲り、大御所となった徳川家康。江戸幕府は江戸と駿府の2カ所を拠点にして、どんな政治を行っていた? 家康は外交にも力を入れ、朝鮮との国交回復実現や琉球王国の制圧を命令。 さらに、70歳の家康と19歳に成長した秀頼が会見。約8年ぶりに対面した2人の心境は?そして「大坂の陣」の引き金となった「方広寺鐘銘事件」が起こる・・・今回は家康が、なぜ豊臣討伐を決断するに至ったのかに迫る。