<1600年9月~10月> 9月14日 家康が赤坂(大垣市)に到着/激しい情報戦が展開 9月15日 関ケ原の戦い 9月20日 秀忠が遅れて到着 9月27日 家康と豊臣秀頼が大坂城で謁見 10月11日 石田三成が処刑 日本中の武将が、徳川家康の率いる東軍と石田三成率いる西軍に分かれて戦った「関ケ原の戦い」。 総勢約17万の兵が参戦した戦国時代最大級の規模の戦いにも関わらず、わずか半日で東軍の勝利に終わる。その裏にあった、家康ら東軍による様々な調略とは…? また、小早川秀秋に寝返りを促すため家康が撃ったとされる「問い鉄砲」が、実は無かったのではないかとされる学説や、徳川秀忠が戦いに間に合わなかったという意外な真相など、近年の新しい学説を交えて「関ケ原の戦い」の真実に迫る。