<1598年~1600年> ・朝鮮出兵が終結 ・徳川家康が“掟破”を糾弾される ・“石田三成襲撃”事件 ・“家康暗殺計画”が発覚 ・オランダ船「リーフデ号」が日本に漂着 <内容> 秀吉の死をうけて、天下取りへと踏み出す徳川家康。ところが家康は、一緒に政権運営を担う大老や奉行から、ある掟破りを糾弾されてしまう。その掟破りとは? ほどなくして家康暗殺計画の噂が流れる。家康はこの事態にどう対処したのか?そんな中、家康は豊臣秀頼のいる大坂城に居を移す。そこには秀吉の正室・北政所の力添えがあったとされるが、2人はどんな関係だった?