<1593~1596年> ・豊臣秀吉が明の使節と対面 →「7か条の講和条件」を出す ・豊臣秀次(28)が自害 ・大地震で指月伏見城が倒壊 ・秀吉が大坂城で明の勅使と対面 <内容> 日本と明の和平交渉は一体どうなるのか…和平交渉に臨んだ豊臣秀吉は明の使者に対して「講和条件」を示す。しかし、この明の使者は小西行長が仕組んだ「ニセモノ」だった。 国内では秀吉に待望の男子、後の秀頼が誕生。諦めかけていた跡継ぎの誕生は、のちに大きな事件を引き起こす…。さらに関白職を継ぎ、後継者となっていた、秀吉の甥・豊臣秀次が切腹。ひと月後には秀次の妻子ら39人が処刑され、京の聚楽第も破壊される。秀次が関係する、あらゆるものが根絶やしにされた、いわゆる「秀次事件」。長年、謎とされてきたこの事件の真相とは?