<1590年~> ・徳川家康が“国替え”で関東へ ・豊臣秀吉が奥州仕置で天下統一 ・豊臣秀長が病死 ・千利休が切腹 ・秀吉が「唐入り」構想を発表 ・「太閤・豊臣秀吉」が誕生 <内容> 天下統一まで、残るは奥州のみとなった秀吉。秀吉は自ら奥州まで赴き、大名たちを臣従させて天下統一を完成させる。そんな中、秀吉は弟・秀長、嫡男・鶴松を病気で亡くす。2人の死は秀吉にどのような影響を及ぼしたのか?さらに、側近だった千利休に、秀吉が切腹を命じた背景は? 一方の家康は、関東に領国を移し、江戸を本拠地に定める。家康はどのように江戸を発展させていくのか?