時は徳川五代将軍・綱吉の治世。 絢爛豪華な元禄文化が栄えた一方で、生類憐れみの令や赤穂浪士事件など、世の中は混乱していた。 紀州家の二代藩主の四男として生まれた吉宗は相次ぐ兄や父の死により、宝永2年(1705)、藩主となる。