マニラ総督は秀吉のルソン遠征計画を知り、再び親書を携えた使節を日本に送りました。マニラの使節は、秀吉が、読めないスペイン語に苛立ち、親書を破る姿を見て、その異様さに驚きます。その後、側室・淀殿が秀頼を産み、秀吉に実子ができると、秀吉は養子である関白・秀次に切腹を命じます。秀次の側室・桔梗(ききょう)は、美緒の命を受けた五右衛門に連れ戻され、助左衛門のいるルソンへ渡ります。