千利休が大徳寺の山門に自分の木像を置いたことが、秀吉の怒りを買いました。助左衛門は利休が京を追われて謹慎を命じられたと聞き、舟で堺の屋敷まで送ります。そして、利休の身に危険が迫っていると察した助左衛門は、利休をルソンへ逃がそうとして、その日の夜に舟で利休の屋敷まで迎えに行きますが、すでに石田三成と奉行所の兵に囲まれていました。それから14日後、利休は秀吉に命じられて切腹しました。