今からおよそ800年前の承久3年(1221年) 京の朝廷に君臨する後鳥羽上皇が、鎌倉幕府執権・北条義時追討の宣旨を発する。幕府はこれに対し19万の大軍で京に進攻。 上皇と北条氏の全面対決「承久の乱」が勃発する。 良好な関係を築いていた、幕府と朝廷の間になぜヒビが入ったのか?後鳥羽上皇に義時追討を決意させた出来事。それは3代将軍源実朝を襲った、あの悲劇だった! 後鳥羽上皇は、義時を討っても幕府を倒すつもりはなかった? 歴代天皇でも最高の「治天の君」が抱いていた、大いなる野望とは!? 天皇の命令「宣旨」に逆らって勝った者なし! それでも幕府に上皇との戦いを決断させたのは、 尼将軍・北条政子の言葉だった!? そして勝敗は?「承久の乱」は日本に何をもたらしたのか? 歴史の転換点となった戦い。 その歴史の謎、鑑定します!