今、なにかと話題の鎌倉幕府将軍「鎌倉殿」。 その将軍を助ける執権の3代目を務めたのが、北条泰時。 祖父・時政、父・義時の跡を継ぎ幕府を支えた泰時は時に心優しき聖人君子と称えられ、時に冷徹な独裁者と恐れられた。 「武士の世」への転機となった「承久の乱」勃発! この時、幕府軍総大将を務めた泰時。 しかし出陣した時、率いた兵はたったの20騎ほどだった! この一大事になぜ僅かな兵しかいなかったのか? 更に、一旦出陣した泰時はなぜか一人で戦線離脱? その奇妙な行動の意味は!? 3代執権となった泰時は、父・義時に倣って将軍を助け、幕府を運営する13人からなる「評定衆」を結成。 争乱が終わった、新しい時代に相応しい「鎌倉殿の13人」とは? 泰時が成した最大の仕事、武士の法令「御成敗式目」の制定。 土地の取得や財産の相続、更には不義密通や、なんと悪口に対しての罰則まで。 実直な泰時らしい厳しいルールとは? 「道理の男」北条泰時の真実に迫る。