天正2年(1574年)1月1日。 織田信長による新年を祝う宴の席で披露された金箔を貼られた3つのドクロ。一つは、浅井長政。もう一つはその父、浅井久政。そして3つ目が、朝倉義景のもの。 信長の残虐性を表した逸話とも云われているが、自分を最も苦しめた 相手への敬意を示した行為とも云われている。 そう、朝倉義景こそ織田信長を何度も追い詰めついには「もう天下を狙わない」とまで言わしめた武将だった。 後の室町幕府15代将軍・足利義昭を領内に匿いながらも義昭を立てて上洛することなく、みすみす天下取りの機会を逃した暗君とも云われている朝倉義景。 なぜ義景は上洛しなかったのか? そのとき義景を襲った悲劇とは? 「志賀の陣」で信長に頭を下げさせ 「もう天下は狙わない」とまで言わせた義景。 なぜこれほど追い詰めることができたのか? 「信長包囲網」で、なぜか義景は包囲網の一角を崩して撤退! なぜ、あと一歩で宿敵を倒せるというときに? その驚きの理由とは? 「北の京」とまで呼ばれた美しい城下町を作り、文武に優れ、 天下を狙える十分な兵を持ちながらも、なぜ彼は敗れたのか? 朝倉義景の真実に迫る。