夏子はペニシリンを打ってもらい回復に向かう。岩田家はその費用8千円という大金をなんとかやり繰りし、春男(岸谷五朗)がパン工場での修業を終えるとともに大阪の池田に戻った。やがて岩田製パン店が開業、委託製パンという制度もあって結構繁盛する。昭和28年春、次女・夏子の小学校の入学式を迎え、春男、照子そして春子、夏子、秋子、そして四女の冬子の明るい笑い声が、岩田家に満ち溢れていた。