永禄四年九月十日未明、信玄は敵を挟み撃ちにする啄木鳥(きつつき)の戦法に出ました。一方、謙信も信玄の本陣は八幡平と見抜き、松明(たいまつ)を本陣に残して妻女山を下りました。謙信の素早い動きに信玄は苦戦しますが、越後軍の後方に回った武田軍が駆けつけ、謙信は無念の思いで撤退します。