景虎(後の上杉謙信)が関東管領の名のもと、関東制圧に動きました。信玄の妨害で、春になってようやく小田原城を取り囲みましたが、北条氏康は長期戦を睨(にら)み籠(ろう)城の準備を整えていました。景虎は「城を落とさずともよい、わしは姿を見せに来たのだ。わしは毘沙門天の化身じゃ」と天を仰ぎました。