時は安政三年(1856年)、冬。蕎麦屋・喜兵衛では、須賀屋の番頭となった善二の祝いの席が設けられていた。善二が持参したのは、“ゆきのなごり”という酒。須賀屋の主人・重蔵も毎晩嗜むほど夢中になっているというその酒は、今や江戸の町で大流行しているものだった。しかし甚夜はその味に違和感を覚え、夜鷹に調査を求める。