久しぶりに帰ってきたホームプールの平和島。連合会からの連絡でボートに乗って練習ができることになった。二艇旋回練習で思うように左手が動いていないことを感じた憲二だったがそれもすぐに克服した。そしていよいよ復帰戦が決まる。それはあの事故を起こした福岡競艇場だ。周りからなぜ地元の平和島じゃないのか?と聞かれたが、憲二は「あの場所に負けたままじゃいけないんだ」という。競艇選手は相手の選手だけじゃなく競艇場にも勝ち続けなくちゃダメなんじゃないか、という考えからだった。