織田家の家臣で数奇をこよなく愛する古田左介は、主君信長から謀反をおこした松永久秀との交渉を命ぜられる。久秀が所有する大名物「平グモの茶釜」を渡せばすべてを許すというのが条件だ。
左介はつかの間の平穏な日々を妻のおせんとすごしていた。義理の兄である中川清秀に茶をふるまい、志野茶碗を愛で、おせんとの仲もむつまじい。が、そこに風雲急を告げるしらせが届いた。
織田家三茶頭のひとり、千宗易の出現は左介にとって己の運命を変える出会いであった。翌年の夏、完成した安土城の天主閣をたずねた左介は、その圧倒的なけんらんさと信長の心意気に心酔する。
東の北条と和議を結び、各地を平らげた信長は「御馬揃え」をおこなう。左介は数奇者の心意気を示さんとのぞみ高い評判を得たが、信長の実の弟・長益の登場によって至福のときは長くは続かなかった。
因幡国・鳥取城を攻める羽柴勢に加わっていた左介は、秀吉が寡黙になったことを気にしている。その陣中に高山右近がやってきた。キリシタン大名である右近は左介と同じくかなりの数奇者だった。
安土城に帝専用の御殿「御幸の間」が完成した。信長はみずから家臣からの祝い金と見物料を徴収。信長との謁見をおえた左介は数奇仲間である細川忠興と再会する。
甲州攻めも終わりをむかえ、ついに武田は滅びた。信長は家臣に恩賞を分配するものの、満足のいく結果を得られなかった左介は意気消沈。だがそんな思いをいだいたのは左介だけではなかった。
安土に徳川家康がやってきた。宗易と光秀から接待役の補佐をたのまれた左介はみずからの数奇を発揮しようと大奮闘するが、やる気ばかりが空まわりしてついには家康を怒らせてしまう。
ゾウに乗った信長がわずかな手勢を連れて上洛を果たした。近習の森蘭丸が警護の弱さを指摘。南蛮家臣の弥助もカルタゴ王滅亡の逸話を語る。しかし信長は聞く耳を持たなかった。
本能寺におけるクーデターが人々を飲み込んでいく。仕掛けられた者のみならず、それを仕掛けた者ですら、動き始めた歴史のうねりを止めることはできなかった。
信長亡き天下が新たなる姿を模索する。細川忠興は父・藤孝に明智討ちを進言し、上洛中の徳川家康も重大な決断を迫られる。そんな中、羽柴秀長は兄・秀吉に天下を獲らせるために動き始めた。
羽柴勢に加わることを決意した中川清秀と左介を秀吉は大歓迎。明智光秀は無事に三河に生還した徳川家康に対して加勢を求め、自らは安土の守備を秀満に任せ、一路、摂津・河内の攻略に向かった。
左介の発案による大幟旗をかかげた羽柴勢が明智討伐にむけて動いた。その数の多さに明智光秀はがく然となる。「私は羽柴に謀られていたのだ」その事実に気付くも、もう後戻りはできない。
山崎の合戦は明智勢の大敗で終結。進軍中にその一報を受けた徳川家康は光秀の救出を果たそうとするが重臣たちにいさめられる。光秀はわずかな家臣と共に一夜の食事に「わび」の神髄を見る。
安土城に入った織田信雄は城を守っていた蒲生賦秀と対面する。そこに同席した千宗易はいまは亡き明智光秀によって白く塗られた安土城天主閣を焼き払うべきだと進言する。
古田左介は羽柴秀吉の家臣として、千宗易の弟子として、細川忠興や高山右近・蒲生賦秀らとともに数奇者ぶりに磨きをかける。中川家の後見人として茨木十二万石を任せられ、地位も向上していた。
古田左介は千宗易と山上宗二をまねき初めての茶会を開いた。場所は茨木城内に左介がもうけた茶室「渋庵」だ。この茶会には左介が秀吉から借り受けた大名物「初花」を披露するという目的もあった。
古田織部は秀吉の女房である北政所に謁した。茶々に入れあげる秀吉のアリバイ作りの片棒を担がされたのだ。清正が持参した辻が花を手に入れた織部はその夜、妻のおせんと仲むつまじく過ごす。
古田織部は数奇仲間の上田左太郎とともに大坂城内に忍び込んだ。一方、重臣・石川数正の寝返りによって窮地に立たされた徳川家康は秀吉の実の妹・朝日をめとることで和ぼくを結ぶ。
聚楽第に誰にも負けない最強の数奇屋敷を作りたい。そんな欲望のとりことなった古田織部が山科にやってきた。山科に住むというその老人は、千利休に「一番のわび数奇者」と言わしめた人物である。
家康が上洛を果たした。これで徳川が臣下となったと太閤秀吉は上機嫌である。秀吉は祝いの席で、来年3月に九州平定の出立をおこなうと発言。織部がギョッとなる。
天下の名物「楢柴」をお救いするため、織部は秋月種実が居城・古処山城への潜入作戦を開始する。「山の神の申し子」の異名をほこる真田信繁の間者たちの協力もあって無事に城内に忍び込むが…!?
聚楽第の豊臣秀吉屋敷が完成した。秀吉はいまだ九州より戻っていない。鬼のいぬまの何とやら。秀吉の留守をいいことに数奇に通じた織田長益が屋敷に入りその意匠を見物する。
独眼竜の異名を持つ奥州の覇者、伊達政宗が、軍師の片倉景綱を相手にボヤく。秀吉が催す北野大茶会に行きたくて仕方がないのである。その大茶会において秀吉は新たな茶頭を決める腹づもりだ。
北野大茶会にひょっこりと現れた丿貫は秀吉の心をあっさりと解きほぐしてしまう。すっかり感じ入った秀吉は、丿貫こそ天下一の茶人であると評そうとするが、駆けつけた織部が待ったをかける。
利休が丿貫のもとを訪ねた。天下一の茶人として認められた以上、関白からの褒章を受け取って欲しいと説得するためだ。かたや丿貫は利休ではなく、その本名である田中与四郎に対して語りかける。
お茶々懐妊! 待ちに待った世継ぎができたとあって秀吉の喜びは大きい。そんな浮かれ気分に利休が水を差す。茶頭筆頭の務めを辞めたいと申し出たのだ。
相模国に流れ着いた山上宗二は北条氏直に謁する。氏直と家臣たちの実直な態度は宗二のかたくなな心をゆっくりとほどいていく。一方、京では利休の寄進により大徳寺山門が完成する。
「瀬戸物」の完成に固執する織部は北条攻めの中にあっても我が身が第一であった。その戦に同行した利休は出奔した山上宗二と再会。新たな境地を拓いた宗二にかつての不そんな態度は皆無であった。
徳川家臣・本多忠勝から「へ垂れ大名」とそしられた織部は世田谷城の調略にむけて動き出す。一方徳川家康は海路にて新たな領国となる江戸を眺める。秀吉は家康に謀反の意の有無を問う。
利休の考案した茶室「天正庵」がまたも秀吉のどぎもを抜く。しかし利休は秀吉に対して無言を貫いた。そんな利休に舞いを強要する秀吉。双方の溝が深さを増していく。
忍城を水攻めする石田三成は、あと一歩というところで堤防が決壊したため自軍に多くの被害を出した。これに巻き込まれた織部は三成の不備を指摘。一方、石垣山には秀吉の城が完成する。
寄せては返す波が白浜に美しい模様を描いている。相模国由比ヶ浜。おりしも波に沿って走る騎馬の一団があった。その先頭をいくのは千利休と古田織部だ。利休が馬を止めしばし辺りを眺める。
大名物「橋立の茶壺」とまな娘お吟を献上せよ。関白の命令をとうてい飲めぬと憤る利休であったが、娘のお吟はそんな父をもしのぐ強い意志の持ち主であった。
織部は染付志野茶碗を瀬戸屋にて公にひろめた。茶碗の評判は上々であった。東国では徳川家康が江戸城を築き、肥前では加藤清正が名護屋城の築城にちょっちゅねと汗を流す。
秀長の死によって豊臣の家中では石田三成が権勢を強めた。関白から利休の処遇をまかされた三成は、大徳寺三門に利休像が安置されていることを不そんとして、古渓宗陳と利休にその責任を問う。
織部と右近のアドバイスを受けて、関白をしくじった伊達政宗が一世一代の大パフォーマンスをおこなう。まさに伊達男たるその姿に、往来の中にいたおくになる女はこうこつの表情である。
関白秀吉と千利休、両者の決裂が人々を飲み込んでいく。徳川家康は大義のためにひきょう者になると決意し、古田織部と細川忠興は、自分たちの立場が危うくなるにも関わらず宗匠を淀川で見送った。
利休切腹のその日、空は鈍色の雲がたれこめ、季節はずれの大粒のひょうが警護の兵に降りそそいだ。そんな天気の急変に呼応したかのごとく、死を前にした利休がひょう変する。