清が朝鮮に攻めてきたことが朝廷に伝わると、朝廷では仁祖を避難させるべきだという意見が持ち上がる。だが清陰は一国の国王が3度も宮殿をあけて逃げるのかと非難する。国の危機にもかかわらず自分の身だけを案じ、朝廷で言い争う臣下たちを見た仁祖は情けないと怒鳴りつけ、王族の女子供を江華に避難させたあと臣下たちは朝廷に残り一緒に戦えと命じる。だが清軍の勢いは予想以上にすさまじく、瞬く間に開城を通過して坡州に到着し、江華へと向かっていた。一方、江華に避難しようとしていた王世嬪の一行は船を横取りされ、渡しで足止めを喰らう。途方に暮れる一行の前に現れた大君は状況を説明し、楊花の渡しにある自分の船で渡るようにと助言する。
清軍勢如破竹令朝鮮完全措手不及,仁祖和昭顯面臨坐困南漢山城的危機,這時,姜周愃帶著清國皇帝的口諭前來,姜嬪與貞明等人前往避難的江華淪陷,仁祖在清軍要脅下只能向皇太極行三拜九叩頭之禮,昭顯世子一家與鳳林大君被押至沈陽,八年後回歸。