天正6(1578)年春、秀吉は1万余の軍を率いて播磨を目指した。信長にとって中国最大の敵・毛利輝元が播磨に向けて動き始めたからである。秀吉は姫路・書写山の本陣で尼子勝久、山中鹿介主従と会い、彼らが失った上月城を取り戻すと語った。だが、小寺官兵衛は「戦に情けは無用」と上月城を捨て、三木城の別所長治を討つ作戦を進言。