天正5(1577)年夏、秀吉は上杉謙信と戦うため越前にいた。しかし、軍議の場で総大将の柴田勝家と衝突し、勝手に戦列を離れてしまう。軍規に厳しい信長は激怒、秀吉を斬ろうとする。が、秀吉の子、秀勝が急死するという出来事があり、秀吉は帰城して沙汰を待つ身となった。悲しみの中、深い謹慎の意を表す秀吉だが、信長は許さず、前田利家を使者として切腹を命じた。