秀吉の身の回りを世話するおかつが秀吉の子を宿した。秀吉は喜びながらも、子が産めないおねの心を思い打ち明けられない。天正2(1574)年夏、信長は秀吉に、甲斐の武田騎馬軍と戦うため1000丁の鉄砲の調達を命じた。秀吉は今浜に新城を建設中で、そんな資金はないと訴えるが、信長は折からおかつが産んだ秀吉の子を抱いて現れ、秀吉をじらした。初めて見るわが子に相好をくずし、秀吉は勇んで任務にあたる。