信長は比叡山攻めの功により、光秀に近江・坂本での築城を許した。織田家臣団最初の城持ち大名になった光秀に対しライバル意識を燃やす秀吉だったが、小一郎に「すこし休め。他人に小さく見られるぞ」と忠告され、前田利家とおまつの祝言の世話をするなど、余裕を見せる。祝言の席で秀吉は「羽柴秀吉」への改名を信長に願うが、おねに「ふさわしい手柄をたててからに」と諭され、それまで「羽柴」の姓は信長に預けられた。