徳永喜八郎

健次郎の父。大抵、医院の玄関先に座っている。しょうもない冗談ばかり言っているが、健次郎曰く「昔は勉強をしなかったら怖かった」。腰痛の気があり、頻尿気味。気さくだが、言葉が足りないときがある。 気前の良い面もあるが、それが禍する(第8週)。 昭和46年、金婚式を迎える(第14週)。 第15週での金婚式当日、イシの家出に立腹して珍しく大喧嘩。無配慮な態度だと思われていたが、無事にイシとの和解が成立。そして、仕切り直しの祝いを行った数日後、入浴中に脳溢血を起こして晴子が勤務する病院へ搬送され、翌日に死去。法名は「釋浄喜」。葬儀後も気前良く振る舞った人々が弔問に駆け付けていた。 亡き娘・正子のことがあり、健次郎を医者になるように導いた(第15週)。 第24週では健次郎の回想に生前の姿で登場。