<ラインアップ> 足利尊氏が反撃へ。室町幕府の誕生と 南北朝の時代へ ●1336 年2月、足利尊氏が光厳上皇から「新田義貞討伐の院宣」を手に入れ九州で反撃を開始。 ●1336 年5月「湊川の戦い」が起こる。足利尊氏は50万と言う圧倒的な兵力で後醍醐天皇側の軍隊に勝利し再度入京を果たす。この時、楠木正成は自害。一方、劣勢となった後醍醐天皇は三種の神器をともない比叡山に逃走。すると尊氏は光明天皇を擁立するが、10月になって後醍醐天皇は尊氏の和議に応じることになる。 ●1336年11月、足利尊氏が建武式目を発布し、京都に室町幕府を開く。 ●1336年12月、後醍醐天皇がまたも京都を脱出し、自分が正式な天皇であると主張。以降、天皇が二人存在する南北朝の時代へ突入する。 <内容> 今回は、室町幕府の誕生と、南朝・北朝の二つの朝廷が並び立つ南北朝の時代の始まりを詳しく見ていく。1335年、足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻し京に攻め込むも、楠木正成や新田義貞に撃退され九州へと逃げることになった。朝敵となった尊氏だが、光厳上皇より新田義貞討伐の院宣を手にいれ挽回を始める。九州で後醍醐天皇方を破ると、体制を立て直し再び京を目指す。兵庫の湊川で楠木正成と新田義貞を破り京に入った尊氏は、光厳上皇の弟を光明天皇として擁立。そして室町幕府を開く。一方の後醍醐天皇は、吉野に逃げ新たに朝廷を開く。南朝と北朝、二つの朝廷にそれぞれ天皇が並び立つ事態へと発展。どちらの朝廷を支持するか、武士や公家も二つに別れて争い、日本全体が混迷の時代へ突入する。