明治38年、日露戦争で勝利した日本は、ロシアが清から租借していた遼東半島の旅順、大連と、鉄道の権利を譲り受け、本格的に大陸進出へと乗り出す。政府が資本金の半分を出資し、南満州鉄道株式会社を設立。鉄道運営のほか、都市開発、鉱山開発など、総合的な満州開発の基盤をつくる。一方、韓国とは3回にわたって協約を結び、外交を代行し、内政も監督指導することで、保護国化を進めていく。韓国の保護国化政策の責任者、韓国統監の伊藤博文は、いずれ韓国を自立させることを目標にし、韓国の皇太子を日本に留学させ、将来の指導者にふさわしい教育を受けさせるなど尽力していた。しかし、国内では、韓国を併合すべきという意見が次第に強くなり、伊藤は孤立していく。明治42年、併合派を抑えていた伊藤が、ついに韓国統監の職を辞し、政府は韓国併合を閣議決定。そして日韓の歴史に大きな影響を与えた事件が…