慶長3年(1598)、秀吉が波乱万丈の生涯を閉じました。石田三成は秀吉の死を伏せて、助左衛門に赦免状を出します。秀吉の死から5か月後、大坂城を守っていた北政所(きたのまんどころ)に代わり、豊臣世継ぎの秀頼とその母・淀君が乗り込んできました。一方、細川ガラシャは堺を訪れて、小西行長らに三成の身に危険が迫っていることを伝えます。時はやがて始まる暗黒の時代へと動き出そうとしていました。