熊本生まれ「肥後もっこす」の北里。明治初期ドイツに留学し、破傷風治療やペスト菌の発見で世界的な功績を上げ第1回ノーベル賞候補にもなったが、日本では苦労の連続。研究と予防の両方を実践したい北里だが、省庁や大学の綱引きで研究の場が持てない。彼を救ったのは慶應義塾の創設者、福沢諭吉だった。伝染病研究所の所長となった北里は、野口英世など優秀な弟子を育て、自らもペスト解明のため香港へ乗り込む。