元和3年(1617)秋、真田信之は弟・幸村と京で密会したことを厳しく詰問されるが、家康直筆の書状を出して追及を切り抜ける。しかし、幕府の真田つぶし工作は続き、生き残っていた樋口角兵衛までも利用され自害に追い込まれる。その後、幕府の動きは収まるが、信之の最愛の妻・小松殿が病で亡くなる。そして、元和8年(1622)夏、信之は突如、上田から松代へ国替えを言い渡される。ついに、信之は上田を去ることになる。