家の貧困から、拾った魚を食べた一家に死別した善助は、誰の愛情も受けずに成育した。何の特長もない善助だが、極端な天皇びいきは、彼の全精神を支配していた。一八歳の時、ふとしたはずみで、憧れた女子先生に抱きつき少年院送りとなり、懲役をすまして帰って来た善助は、今は汚わい屋をして暮していた。狐独な善助に、中国人王万林夫婦だけが唯一の友人だった。そんな善助のもとにも、日中戦争の召集令状が舞いこんだ。どんな人間も平等な軍隊こそ、彼がもっとも好む所であった。勇躍入隊した善助は、北京長辛店にまわされ民間からの献納犬春友号の飼育係となった。この犬は実は、元宮家久留宮ヤエノから送られたものであった。善助の天皇びいきは、ヤエノ夫人尊敬の念から、恋慕へと変っていったが、昭和二十年八月、ついに終戦をむかえた。善助も荒廃した日本に帰って来た。寄る辺ない善助は春友号の首輪を持って京都のヤエノ夫人を尋ねた。想像通り、高貴で美しい夫人に、善助は何かと、物資を配慮した。カツギ屋、ヤミ屋、バタ屋と身を粉にして働くのもヤエノ夫人への献身ゆえだった。そして、石ケンを手に入れようとMPと喧嘩して沖縄に送られた善助を待っていたのは、ヤエノ夫人の夫良介が復員して帰って来るというニュースだった。落胆した善助はバタ屋集落で売春婦恵子と会い、結婚した。が幸福もつかの間、善助が、街頭に立って客をひく恵子の姿をみたことから破たんした。善助との生活費借財の返済をせまられてとった行為だったのだが、恵子は善助の子供を宿したまま、警察に連行された。そこで赤ん坊を生んだ恵子は、狂喜する善助の姿も知らず、息をひきとった。赤ん坊を背負った天皇の赤子善助の前途を朝日が明るく輝いていた。
Name | |
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Yoshitarô Nomura |
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