昭和初期、鈴木重吉は河内平野で生れ育った。貧農で酒と喧嘩軍鶏にうつつをぬかす父親重兵衛の、反対を退けて第三高等学校に入るため、重吉は八尾中学に進んだ。学費のたしに中川牧場の牛乳配達を始めた。ある日、中学で重吉ら四年A組の全員が、風紀部委員に呼び出しをくった。特にA組の三島義夫は、夜若い女と歩いたという科で、制裁を受けた。重吉は三島に同情したが、風紀委員の大岡が、三島の従妹の女学生種子に横恋慕した腹いせに、三島を苦しめたのを知ると、重吉は、大岡に剣道の試合を申し込み、万座の中で大岡に恥をかかせた。五月、重吉は三島に招かれて、彼の家を訪問したが、三島が友人と悪ふざけをするのを見た重吉は、席を立った。だが重吉は玄関で会った三島の妹鈴子に強く魅かれた。二人の美しい交際が始った頃、秀才で正義感の強い重吉に魅かれた種子は、重吉を誘惑し、派手な遊びにさそった。その頃、重吉が種子と密会する宿屋で、父の重兵衛は、悪質な金神組の開く賭博に加わっていた。そして、金神組の若造に半殺しの目に会わされた。これを知った重吉は、金神の事務所に躍り込み、乱闘を起した挙句、重吉は、天台院にかくれた。久しぶりに天台院で鈴子に会った重吉は、鈴子から冷たく拒まれた。鈴子は秀才重吉の裏切りが悲しかったのだ。重吉は尚も言い寄る種子をふりきって、いやがらせに重吉の家に押しかけた金神組を退散させると、自首して出た。学校も退学した重吉は、天台院の和尚のはからいで保釈となった。帰り途、鈴子の花嫁姿に会った重吉は、新しい生き方を求めて、村を出る決心をした。三高への夢も破れ、重吉は“わいは生きるど”と河内平野を後にした。
No lists.
No lists.
No lists.
Please log in to view notes.